(四年生・冬)

すっかり寒くなった。
動き安さを重視した忍たまの装束は、決して防寒性に優れているとは言い難く、生徒達は寒さに身を寄せてぶ
るぶると震えている。

伊作は、病人を収容するという特性上、何時でも暖かい保健室で股火鉢をしていた。炭をケチらず使えるとい
うのは、数少ない保健委員の特権であるが、このだらしない姿を、伊作に思いを寄せるくのいちが見たら悲鳴
を上げそうだ。
その横に、病気でもないのに綿入れを羽織った食満がごろごろと居座っている。

怪我の治療にやって来た文次郎は、あまりの光景に「たるんどる」と怒鳴るのも忘れ、脱力した。

伊作は名残惜しそうに火鉢を足の間から解放して文次郎のうでを消毒し、起き上がった食満はしゅんしゅん音
を立てる鉄瓶を取って茶を煎れてくれた。

食堂で言葉を交わして以来、食満と文次郎はぽつぽつ話す様になった。
廊下ですれ違えば挨拶をしてくれるし、伊作に声を掛ける時も二度に一度は離れて行かず、その場にとどまっ
て話を聞いている。自分から積極的に会話に混ざったりはしないが、話掛ければ答えてくれる。
文次郎は、食満が用具委員であること、器用で物を修理したりするのが好きなので、その委員会をとても気に
入っていること等を知った。
文次郎は食満に好意的な興味を抱いた。出来ればもっと親しい友人として付き合いたいと思った。
伊作と口を吸い合っていた現場を見てしまったことへの戸惑いは依然としてあったが、食満が伊作の世話を甲
斐甲斐しく焼いているのを見て、本人達が良いならいいかと思ったりした。

「こんなに寒いのに、四年生は明日の合同演習外でやるんだよねえ。体術の演習は怪我人が沢山出るからうん
ざりするよ」
食満が煎れた茶を啜りながら、伊作は嫌だ嫌だと肩をすくめる。
「忍が寒さにうだうだ言うな、だいたいお前、体術は割と得意な方だろ」
「運が悪く無ければね。この前クラスで組み手やったら、隣の組の投げ飛ばされた奴の下敷になって全治一週
間だったよ」
まあ、投げ飛ばしたの留ちゃんなんだけど。と、湯呑の端を噛みながら伊作が横目で食満を見つめた。
「あれは、足掛けてちょっと押したら、組んでた奴がお前に突っ込んじゃったんだよ。投げたんじゃない。」
食満はふうふうと茶を冷ましながら、ため息をついた。猫舌らしい。
「是非明日はお前と手合わせしたいもんだな」
文次郎が言うと、食満がぎょっとした顔をした。
「俺はごめんだな。何を勘違いしているか知らんが、俺は別に強くないぞ。優秀なので有名ない組の潮江文次
郎殿となんて当たりたくないね」


翌日、文次郎の運が良いのか、それとも食満に伊作の不運が伝染したのか、食満と文次郎は向かい合って立っ
ていた。くじで試合の相手に当たったのだ。
教師の合図で二人は礼をし、構える。先に、相手に致命的な攻撃を与えた方が勝ち、という極めて単純なルー
ルである。

笛の音に併せて文次郎が素早く動いた。食満は急所を狙って繰り出された拳をぎりぎりで避け、文次郎の腕の
関節に手刀を入れる。
文次郎はその手首を掴んで、引き寄せる。素早さでは食満に負けるが、腕力では文次郎の方が勝っている。組
み合いになれば文次郎の方が有利である。
食満は咄嗟に手首を反して文次郎の腕を捻る。力が緩んだ隙を見て地面に手を着く。
食満の脚が、下から文次郎の顎目がけて蹴り上げられる。文次郎は間一髪で背を反らして避けた。顔の前の空
気が食満の脚によって鋭く裂かれたのがわかり、文次郎は冷や汗をかいた。
文次郎は食満の脚を掴み持ち上げる。ぐらりと食満の身体のバランスが崩れた。文次郎は手を離し、よろけた
食満の体側に膝で蹴りを入れる。
食満の身体が数尺程吹っ飛んだ。文次郎は舌打ちする。
(咄嗟に手で受けて力を逸らしやがった。)
文次郎は反撃を予想して構える。
しかし、食満は起き上がろうとしない。

「そこまで」
教師の声が響き、試合の終了が知らされる。
食満は涼しい顔をして起き上がり、教師の声に併せて礼をした。

今の蹴りは、どう考えても致命的な打撃を与えたとは思えない。
(わざと、負けられた)
文次郎は拳を、爪が食い込み血が出る程、握り締めた。


「留ちゃん。文次郎」
声のする方を見ると、伊作がぶんぶんと手を振っている。側には仙蔵、小平太、長次が立っている。
どちらが勝った、と問う仙蔵に、食満が、潮江だ、と答えている。
「文次郎と当たるなんて災難だったね、留ちゃん。僕は何とか勝てたよ」
と言う伊作は、勝ったというのにぼろぼろである。自分の試合の後、他の組の試合に巻き込まれたらしい。
小平太は何故か右腕から肩にかけて血飛沫が飛んでいる。先走って、笛が鳴る前に相手の顔面におもいっきり
拳を入れ、失格になった、と仙蔵が説明した。血飛沫は相手の鼻血と聞いて、文次郎は小平太に当たった相手
に同情した。
食満は相変わらず涼しげな顔で皆の話に相槌を入れている。
文次郎は食満の手首握って、無理矢理自分の方を向かせた。
「ちょっと顔貸せ。」


文次郎は食満を引っ張るようにしてずんずん歩いていく。食満は黙って付いて来る。
学園の外れにある雑木林で文次郎は止まった。
「何でわざと負けた」
「何の事かわからないな」
顔色も変えずに飄々と答えた食満に苛立って、文次郎は食満の肩を掴み、木の幹に押しつけた。掴んだ肩は見
た目より薄く、頼りなげであった。
「潮江、痛い」
「すっとぼけんじゃねぇよ。何で全力でやらんのだ」
ぎり、と手に力を込めると、食満が顔を背けて呟く。
「そんなのは俺の勝手だろ。お前には関係ない」
かっとして文次郎は食満を殴った。食満は避けずに甘んじて受け入れる。その態度が余計に腹が立った。
「俺のことを優秀だと言ったな。それは俺が努力しているからだ。俺は出来るのにやらない奴が一番我慢なら
ない。」
「でも俺は今の状態を変えるつもりは無い。お前等みたいに目立つのは御免だ。それに、あのままやり合って
いても、どちらにしろ俺が負けてただろうよ。体力はお前の方がある。」
食満は文次郎をじ、と見つめる。
「俺は、お前みたいな奴は、嫌いだ」
文次郎は吐き捨てるように言う。
「そうか。」
食満はそれきり何も言わない。
文次郎は食満に自分と似た物を感じていた。少し付き合ってみて、もっと親しくなりたいと思った。しかし、
食満ははっきりと線を引いて文次郎を拒んだ。
「やっと居た。もう、どこ迄行ったのかと思ったよ」
肩で息をしながら伊作がこちらへ駆けて来る。
「ああっ、何、喧嘩したのっ。全く」
伊作は殴られて赤くなった食満の頬に手を置く。
「平気だ」
頬に充てられた伊作の手を自分の手で包み、柔らかく笑う食満を見て、文次郎は何故かその笑顔に頭に血が昇
るのを自覚した。
「汗かいちゃったからお風呂入んない、文次郎」
振り返った伊作が文次郎に問い掛けた。
「何で俺を誘うんだ。そいつと行けばいいだろう」
文次郎が目で食満を指してやると、伊作は困った顔をした。
「俺は井戸で済ますからいい」
食満はそう言うが速いか、井戸の方に向かって歩き出してしまった。
「留ちゃんは人前で脱がないんだよ。」
残された伊作が文次郎に耳打ちした。
「何で」
「僕からは何も言えないけど、僕は君に理由に気付いて欲しいかな。君は留ちゃんのことを気にしてくれてる
から」
さあて、と呟いて、伊作は伸びをした。

(気付くも何も、あちらから踏み込むことを拒否されたんじゃ、俺にはどうしようもない)
文次郎は食満の背中を眺めてぼんやりとそんなことを考えた。




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もんもんもんじ。
平たく言えば、仲良くなりたいと思ってた相手が、自分のコトなんとも思ってなかったら悲しいよね、って話。
留三郎男らしいですね。はい。