(五年生・春1)(前) 文次郎達は五年生になった。 食満は文次郎達とつるむ事が多くなった。意外な事に仙蔵となかなか気が合うらしく、よく話している。食満曰 く「俺は修補や改造は出来るが、立花のように一から創造するのは苦手だから、凄いと思う」だそうだ。 文次郎と食満はあれ以来仲が悪い。文次郎は食満の顔を見ると憎まれ口を叩いてしまうし、食満もそれに言い返 して来るので、よく喧嘩になる。 伊作なぞはにこにこしながら「喧嘩する程仲が良い」と言うが。 文次郎が廊下を歩いていると、向こうから食満が覚束ない足取りでやって来る。こちらに気付いた途端に嫌な顔 をする食満に、その嫌そうな顔の期待に答えてやろうかと嫌味を言おうとした文次郎は、違和感を感じて黙った。 「お前、怪我でもしたのか」 嫌味が来ると身構えていた食満は、相手の意外な言葉に、はあ、と間抜けな声を上げた。 「血の匂いがするぞ」 すん、と鼻を鳴らした文次郎に、食満は一瞬真っ赤になり、その直後には血の気が退いて真っ青になった。 文次郎は過剰な反応に首を傾げる。 「そういや具合も悪そうだな。足取りが重い。隠してるつもりか、ばかたれ」 「うるせぇ、平気だ。伊作に見て貰った」 そう言いながらも食満はふらふらとしている。壁に肩を付けて身体を支えているが、今にも崩れ落ちそうである。 本人は認めようとしないが、何だかんだ言って根が親切な文次郎は、支えてやろうかと手を伸ばす。 ぱし、乾いた音が響いた。食満が文次郎の手を払った。咄嗟のことだったらしく、払った食満自身も驚いた顔で 文次郎をみている。 自分で拒んだくせに、縋る様な目で見てくる食満に居心地の悪さを感じて、文次郎は目を逸らした。 「伊作を呼んで来てやる」 文次郎が踵を反すと、袖を引かれた。 「部屋まで連れてけ」 文次郎は、蹲ってしまっている食満をまじまじと見た。俯いているので表情はわからない。ただ、汗で濡れた白 いうなじに、後れ毛が貼りついているのにどきりとした。 「おぶされるか」 文次郎が、子供にする様に、しゃがんで顔を覗き込みながら聞いてやると、食満はふるふると首を振った。 何時になく素直な食満の態度に、不謹慎にも頬が緩むのを文次郎は感じた。 「触るぞ」 文次郎は声を掛けてから食満を抱える。今度は拒まれなかった。 (軽いな) 文次郎は足音を聞けば相手の大体の体重を計ることが出来たが、食満は足音を立てないように歩くので文次郎は 食満の体重を知らなかった。 (下手したら十五貫ないぞ、これは) 食満の身長は文次郎より僅かに高い。しかし体重は文次郎より明らかに軽かった。 伊作は部屋の戸を開けた人物に目を見張った。それもその筈で、普段憎まれ口ばかり叩き合っている食満を文次 郎が横抱きにして立っているのである。 「あらあら。体温下がっちゃってるね」 伊作は食満の青い顔に手を充てて熱を測ると、押入から布団を取り出して、文次郎に食満を寝かせるよう言った。 「留さん、漢方でいいかな」 お湯を貰ってくるよ、と伊作が席を立った。 何となく独りにするのは気が引けて、文次郎は布団の横に座った。 「潮江、」 布団がもそりと動いて中から擦れた声がする。 「助かった。礼を言う」 「ん」 結局伊作が帰ってくる迄、文次郎はそこに座っていた。 「文次郎、お前食満を姫抱きにして長屋を練り歩いたんだってな。明日は雨かな」 ははは、と心底楽しそうに笑う仙蔵に、文次郎はうんざりとした視線を送る。 「あいつが具合悪くて動けねぇっつうから運んでやったんだよ。病人に喧嘩売る程鬼じゃねぇ」 文次郎は憮然として言い返したが、仙蔵は笑いのツボに入ってしまったらしく、自分の肩を抱いてひいひい言っ ている。なにがクールで冷静な立花先輩だ、と文次郎は心の中で毒づく。二年の浦風辺りに見せてやりたい。 こんな日はさっさと寝てしまうに限る。 文次郎は寝間着に着替えて布団に入った。 ぼんやりしていると、つい、先程の食満の様子を思い出してしまう。 (あいつ、血の匂いがしてたが、体温が下がる程出血していたとしたら、かなりの重傷じゃねえのか) しかし、そのわりには伊作が落ち着いていたな、と文次郎は考える。 (まさか喀血してんじゃねえよな) そういえば食満の身体は不自然な程軽かった。 思考が恐ろしい方向に行ってるのを自覚しつつも、止められない。寝ようにも、最早目が冴えてしまっている。 「潮江起きてるか」 不意に戸の方から声がして、文次郎はぎょっとした。それが今まさに考えていた相手の声だったからである。 まさか幻聴では有るまいと戸を開けると、寝間着に丹前を羽織った食満が立って、出れるか、と目で示してくる。 頷きつつ部屋の中を見ると、仙蔵の布団は規則正しい寝息をたてている。しかし狸寝入りだろう、と文次郎は思 った。 食満は黙って庭を歩いて行く。文次郎も縁の下に置いたままにされていた草履を突っ掛けてついて行く。 用具倉庫の前に着くと、食満は懐から鍵を取り出して重い錠前に差し込んだ。がちゃり、と鈍い音がした後、ぎ いいと軋んだ音を立てて戸が開いた。 食満が中から手招きするのに従って歩を進める。食満は懐中火を使って入口の脇にある燭台に灯りを点した。 五年生にもなると大分夜目が効くようになっているので光が無くてもある程度はどうにかなるのだが、やはり火 が有る方が周りがよく見える。 「具合は好いのか。」 何となく落ち着かないのを誤魔化すように文次郎が問いかけると、ああ、と何でも無い様に答えられる。 「んで、何の用なんだ」 文次郎が問いかけると、食満は燭台を開いた棚に置いて文次郎の方を向いた。 垂らした髪がふわりと動くのを、文次郎は何となく目で追った。 ――――――――――――――― 長くなったので、一旦切ります。