(五年生・春2)

朝の食堂はざわざわとしている。今日は授業が無い日なので、外に食べに行った生徒がいる分まだましな方
であるが。

文次郎は味噌汁を啜りながら横に座る仙蔵を見た。
切れ長で大きな瞳は長い睫毛で囲まれており、肌は透けるように白く、唇は桃色で、肩に落ちるさらりとし
た鴉の濡れ羽色の髪は、窓から入り込む朝日を受けて微妙な光沢を放っている。
(食満より仙蔵のが、よっぽど女に見えるんだよなぁ)
視線に気が付いた仙蔵が怪訝な顔をした。
「文次、お前いくら私が美しいからって、私をおかずに飯を食うのはやめてくれないか」
「はあっ、気色悪い事を言うなよ。お前をおかずに食うぐらいなら、安藤先生を見ながら食う方がましだ」
妙なしなを作って最低な発言をした仙蔵に、文次郎が嫌味で返す。仙蔵はそれに動じることもなく、真顔で、
文次郎は趣味が特殊だなあ、等と言っている。
相手にしないでおこう、と文次郎が仙蔵から視線を動かすと、視界の隅に食満が入ってきた。
制服を着た食満は、少し線が細いのを除けば男にしか見えない。顔は確かに綺麗だが、それは仙蔵の様な女
性的な美しさではなく少年としての凛々しさで、少女めいたものは全くと言って良い程無い。だいたい食満
は文次郎より僅かであるが背が高い。
昨日の出来事は夢であったのでは、と、文次郎は考えた後、右手に残る、夢にしては鮮明な感触を思い出し
て撃沈した。
(こんまい乳だったが、柔らかかった)
わきわきと右手を動かす文次郎に、仙蔵がうわあ、と思い切り嫌な顔をしたが、当の本人である文次郎は気
付いていない。
代わりに少し離れた所で漬物を突いていた二年の浦風が、仙蔵の顔を見てしまい真っ青になった。


挙動不審になりながらも何とか朝食を完食した文次郎が食器を返しに立ち上がると、食満は伊作の焼き魚の
骨を取ってやっていた。
「何で食満が伊作の魚を解しとるんだ」
「いや、伊作にやらせると、三度に一度の確率で骨が喉に刺さるから」
それなら何故焼き魚を選ぶんだ、と文次郎が脱力したところに、同級生の、おそらくは組であろう生徒が、
もうお前は伊作を嫁に貰え、とまぜっ返している。
「ああ、確かに僕が女だったら留さんとこにお嫁に行きたいなぁ」
ぽやぽやと笑いながら伊作が喋ると、こんな不運な嫁はいらん、と食満が一刀両断した。
(嫁も何も、嫁に行くのは食満の方ではないか)
等と考えつつも、花婿姿の食満と花嫁姿の伊作を想像して、それが異様な程はまっているのに文次郎は遠い
目をした。やはり食満が女であるという実感がわかない。
「文次、この後時間有るかな」
伊作はもごもごと口の中身を飲み込みながら文次郎を見上げた。
「保健委員の買い付けに行くんだけど荷物多くなりそうで。手伝ってくれるとありがたいんだ」
お願いっと手を合わせる伊作にしょうがないと返事をすると、横から食満がわりぃな、と言った。
「本当は俺が行く予定だったんだが、あんま体調が良くねぇからさ」
「あ、ああ」
食満はそれだけ言うと、食べ掛けの煮物定食を物凄い勢いで掻き込んだ。女の食う量じゃねぇな、と文次郎
はそれを眺めた。


薬、大量の消毒用の酒に木綿、そして何故か桶を持たされた文次郎は血管が切れそうになるのを必死でこら
えていた。
「伊作てめえ、なんだこの荷物は」
「ああ、この前下級生が保健室の桶木っ端微塵にしちゃったんだよね」
落とし紙の入った風呂敷を一つ持っただけの伊作に、そう言う意味じゃない、と怒るべきか、予算を無駄遣
いするな、と怒るべきか迷って、面倒になって文次郎は口を閉じた。
「あ、そこの茶屋美味しいんだよ。奢るからちょっと休憩しようか。」
そう言って伊作はさっさと腰掛けに尻を降ろして、年増の給仕の手を握って何やら口説き始めている。
さんざん綺麗だとか、着物が似合っているとか褒められた給仕は、まんざらでも無さそうな顔で団子の数を
おまけしてくれた。
「お前なあ」
文次郎が呆れた声を出すと、伊作はしれっとした顔で
「文次郎も女の子くらい口説けないと、情報収拾の時困るよ」
と団子をほうばった。
顔の良い奴は得だ、と文次郎も団子を手に取って口に放り込む。
「ところで文次、留さんの胸揉んだんでしょ」
伊作の言葉に、文次郎は口に入れたばかりの団子を吹き出しそうになった。
「な、お前、聞いて」
「あ、やっぱり。昨日帰って来た留さんが胸の大きさ気にしてたから」
「かまかけたのかっ、ちげぇぞ、あいつが無理矢理触らせたんだ」
慌て言い訳をした文次郎に、伊作は別に遠慮しなくていいよ、とお茶を啜った。
「別に僕と留さん付き合ってないし。」
「はぁ、おめぇら出来てるんじゃねぇの」
さりげなく文次郎の団子にまで伸びて来た伊作の手を払いながら、文次郎がすっとんきょうな声を出す。
「留さんは僕のこと、出来の悪い兄ぐらいにしか思ってないよ。なんせ一年の時から一瞬に寝たり着替えた
りしてるんだ。僕も留さんのことを妹みたいに思ってる。今はね」
そう言う伊作の顔は、割り切れているようには、文次郎には見えない。
そういえば、伊作が食満のことを「留ちゃん」と呼ばなくなったのはいつだったか。
「寝たのだって留さんがくの一の房中実習に混ざる事が決まって、初めてが実習じゃあんまりだからって」
「でも、食満がお前がいいっつったんだろ」
「留さんが女の子って知ってるのが教師を除いて僕だけだからさ。消去法だよ」
文次郎は最後の団子を茶で流し込んだ。
「もちろん、好かれてはいると思うよ。それくらいは分かる。でも好意の質が違うのも分かるんだ。」
そこまで言うと、伊作は文次郎に向けて笑った。
「今はもう平気。兄代わりだろうとなんだろうと、留さんが僕のこと大事にしてくれているのに違いは無い
から」
「そうか」
残り少ない茶を一気に煽って、伊作は立ち上がった。
「文次郎、たまにでいいから留さんに優しくしてあげてね。」
自分も残った茶を干していた文次郎は、はあ、と片眉を上げた。
「留さんさ、無意識だけど文次郎のこと結構頼りにしてるっぽいから。留さんもう六年も男として暮らして
て、卒業後も男の忍者として生きるって言ってるけどさ」
そこまで喋って伊作は一旦黙ってため息をつく。
「時々さ、くの一教室がきゃあきゃあしてるのとか、じっと見てることあるんだ。本人は認めないけど、羨
ましいんだよ。普通に女の子らしく生きてる彼女らが」



「留さんただいまあ」
伊作と食満の部屋の戸を開けて、伊作は気の抜けた声をあげる。文次郎は後ろで憮然とした顔だ。
「お帰り。ざこざに巻き込まれたりしなかったか」
「うん。今日は大丈夫だった」
食満は学校の備品の網の破れを繕いながら、伊作に笑いかけた。
「あれ、潮江。なんか用か」
食満が伊作の後ろの文次郎に気付いて言った。
文次郎は懐から何かを出して食満に投げる。
「やる」
投げられた物を受け取った食満がそれをまじまじと見る。女物の櫛だった。食満が思わず立ち上がる。
「は、あぁ、何でこんなもん俺に。女扱いすんじゃねぇよ」
「うっせぇ。伊作が選んだんだよ。櫛なんて髪結う時に使うんだ、男物でも女物でもいいだろ。どうしても
気になるんなら女装の授業ん時でも使っとけ」
文次郎はそれだけ言うと、踵を反して大股で去っていく。乱暴な足使いだが足音は静かなのが食満には可笑
しく、怒りを引っ込めて腰を下ろした。
「選んだのは僕だけど代金払ったのは文次郎だから、後でちゃんとお礼言いなよ」
伊作が食満の肩に顎を乗せて喋る。肩に広がるもそもそとした感触に食満が身を捩った。
「なんか留さんにお土産買ってこうって話になったんだけど、文次郎の選ぶ物なんかずれてるんだもん」
「や、お前の選んだ物もなんかずれてるんだろ」
背中に懐いてくる伊作を適当にあしらいながら、食満は修繕の途中であった網を手に取る。
「嬉しいくせに」
食満は唇を尖らせた伊作を見て、自分よりずっとかわいいな、とぼんやり思う。
(潮江は、伊作が女物の櫛を選んだ時、どうゆう気持ちで金を払ったのだろうか)
食満は膝から美しい櫛を拾い上げて眺めた。食満には、それが自分に似合うとはとても思えなかった。



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この後、すったもんだあって文食満は両思いになりますが、力尽きたので、ここでおわっとく。