(五年生・夏)
食満の唇は湿っている。少し荒れてはいるものの、触れると柔らかい、女の唇であった。薄く開かれた咥内に舌をねじ込んでやると、喉をならして唾液を飲み込んだ。
文次郎が食満の寝間着に手をかけ、諸肌脱ぎにするとぼろん、と乳房が零れた。
いつの間にこんなでかくなりやがったと、手に余るそれを揉んだり引いたりしながら、文次郎が意地悪く問いかけると、食満は身体を震わせてお前がしつこく揉んでるからだ、と言う。
文次郎はそうか、と思って食満の豊満な胸に顔を埋める。食満は細い指で文次郎の髪を乱した。
目を覚ました文次郎は布団の上で頭を抱えた。馬鹿過ぎる、だいたい食満の胸はあんなにデカくない、と自分の夢に文句を言うが、それも虚しい。
不幸中の幸いは下帯が濡れていなかったことだが、しかしその中に納まった男根は明らかに布を押し上げている。
結局文次郎の愚息は、文次郎が頭の中で時期予算案をなぞり、毒の調合法を三つばかり復習した後、忍術の流派の歴史を暗唱して、仙蔵がしでかした嫌がらせを思い出すまで、おとなしくなることはなかった。
不意に、頭を抱えた文次郎の横で布団が動き、ひょこりと寝癖頭が覗いた。
「潮江、早いな。おはよう…」
うつ伏せから起き上がった食満は、猫がする様に伸びをして欠伸を一つもらした。文次郎の夢の原因はこれだ。
食満と文次郎は同衾した。同衾とはいっても、純粋に同じ布団で寝たという意味で、文次郎の夢の様な出来事は起こってはいない。
なぜこんな状況になったのかを説明するのには、時を少し遡る必要がある。
文次郎は担任から課題を一つ授かった。課題は極めて実戦に近い物で、成功すると僅かではあるが報酬が出て、何より成績に色をつけてもらえる。
文次郎は二つ返事で請け負ったが、どうやらこの内容だと協力者が必要である。しかし、適任だと思われた仙蔵には「面倒だ」と断られてしまった。
ろ組には向かない、だからといって伊作に頼むと余計な厄介事に巻き込まれそうだし、三木ヱ門に頼むのは少し酷だ。
文次郎は藁にも縋る思いで食満の元へ行った。
「女装して俺の課題を手伝ってくれ。報酬は山分けだ。」
「…かまわない。」
斯くして、文次郎は『女装が出来て腕が立つ協力者』を手に入れたのであった。
課題の内容は、持ち出された文書の奪還である。
学園と友好関係の城の古い帳簿で、大した内容では無いらしい。しかし城としては、盗まれたままでは体裁が悪い。そんな理由で忍たまに仕事が回ってきたと言う訳である。
持ち出したのは忍崩れのやくざ者で、その文書をネタに城に揺すりをかけて来ている。腕はそんなに立つ訳ではないが、悪知恵が働くらしく上手く逃げ仰せている。
文次郎がいろいろ手を尽くして調べた結果、下手人はある宿によく出入りしている事がわかった。その宿とはいわゆる、買った遊び女を連れて入る色茶屋である。
「成る程な、男一人でそんな所に入る訳にはいかないからな。」
「ああ、しかも張り込む必要がある以上、長逗留になる。」
文次郎は派手な着物を羽織り緩く帯を締めて遊び人の体を作っていて、その横の食満は薄く化粧をして髪を結い上げ、帯かわりに紐を使って遊び女に身をやつしている。
食満が腕に絡み付いているので、文次郎は少し居心地が悪い。身長が目立たぬ様に膝を曲げているので、そうした方が楽なのだ。
「しかし食満、お前随分化けたな。どっから見ても女にしか見えん。」
文次郎が居心地の悪さを誤魔化す様に軽口を叩くと、食満は文次郎の腕をつねって、当たり前だろと言った。
「お前こそ、そうしてるととても十五には。三十過ぎのろくでなしにしか見えないな。」
そうやって唇を尖らす食満から、ふいに白粉の匂いがして文次郎は焦る。見下ろすと、ちょうど白い胸元が見えた。
(馬鹿か、食満だぞ。いくら女らしくしたからって。)
宿に入ってしまえばもう女らしくする必要も無いと、途端に振る舞いが粗野になった食満に、文次郎は正直ほっとした。
「標的は人目を憚って夜中にやってくるから、それまで寝るぞ。」
「りょおかい〜。浴衣とかあるか。女の着物動き辛くてな。褌しないのも久しぶりだから落ち着かねぇ。」
備え付けの朱色の襦袢を渡そうと差し出した文次郎は、食満の言葉に固まった。
「ふ、褌…」
「なんだよ。俺普段は男として生活してるから褌くらいつけるし、くの一として動く時は外すし。」
女の格好なんだから褌はつけないだろうが。と言いながら食満は襦袢を受け取って、勢い良く着物を脱いだ。
ばさり、と布が落ちる音とともに、食満の肌があらわになる。
「うわ、隠せっばかたれ」
文次郎は慌てて目を逸らしたが、僅かに膨らんだ胸や、本人の言葉通りに褌を付けていないそこが、淡く発毛しているのまでもを確認してしまい、顔が熱くなる。
「あ、わりぃ何時もの癖で。伊作は気にしねぇから」
もう着たぞ、と言って食満は文次郎の肩を叩いた。文次郎が振り替えると、襦袢をまとった食満が立っている。白い肌に朱色が生えてどこか艶めかしく、薄い生地越しに、普段はさらしに隠された胸の尖りがわかる。
「潮江、お前もさっさと着替えろ。…やっぱ布団は一組か。」
食満が敷いてある夜具を眺めて言い、布団に入り込んで掛布の端を持ち上げる。文次郎の焦りは最高潮に達した。
(…ちょっと待て。よく考えたら、食満とはいえ女と二人きりで数日)
「どうした。早く」
布団の中から手招きをする食満の胸元が乱れているのを見て、文次郎は眩暈がした。
なんの進展も無いまま、張り込み生活は三日目に入った。
文次郎は隈がますます際立ち、疲労を濃くしている。
(色茶屋でこんなに欲求不満なのは、世の中で俺だけに違いない)
昼間は食満と一つの布団に入り、寝入った食満が、ん、などと吐息を漏らすのを背中で感じ、夜は夜で薄い壁越しに耳に入ってくる両隣の情事を、食満と顔を突き合わして聞いているのである。
いくら文次郎が学年一ギンギンに忍者していようと、十五歳の男な訳で、出来るだけ切り替える様にはしているものの、思考がそちらに流れるのはしょうがない事である。
そんな文次郎の葛藤を知ってか知らずか、食満は文次郎が買ってきた団子をほうばりながら、涼しい顔で外を眺めている。
「進展ねぇなぁ…」
団子を飲み込んで、ぼんやり呟く食満に、いつ標的があらわれても良いように忍服を着た文次郎は眉をひそめた。
「それらしき人物はここいらをうろついてるんだがな。まさか人目の有る往来で捕まえる訳にもいかない。」
苛々と文次郎が答えると、食満が少し考え込む様な動作をした。
「作戦を変更しないか。」
「…言ってみろ。」
食満は少し黙ってからおもむろに口を開いた。
「俺が遊び女の格好で標的に接触して此処に連れてくるから、お前は天井裏に潜んでて、俺の合図で確保するってのはどうだ。」
「ばっ…お前そんな…第一危険だろ」
「…別に最後までする訳でもないし、忍が使える物使わなくてどうするんだよ。」
確かに食満の作戦は一番手っ取り早く、上手い手で有るのは確かである、と文次郎が考えた。
「…お前嫌じゃないのかよ」
文次郎が問い掛けると、食満はわらって、
「こんなでも一応、くの一でもあるんだぜ。くの一が身体出し渋ってどうすんだ。」
文次郎は窓から外を見て、食満の姿を見た。食満は男に腰を抱かれ、しなだれかかっている。
食満が視線をこちらに向け目配せしたので、文次郎は頷く。
食満と標的が店に入ったのを確認して、文次郎は頭巾を鼻まで上げて天井裏に入った。
文次郎はある部屋の上で止まり、隙間から中を覗くと、食満と男が傾れ込んで来る。
布団に押しつけられた食満は甘い声を上げて身を捩った。着物が乱れて、肩と乳房が露出した。
「お兄さん、そんな慌てないで。」
起き上がった食満は、逆に男を押し倒して口付ける。そして水音を立てて離した後、男の着物を乱して首筋や胸元に唇を滑らす。その一方で手はまさぐる様にしながら、武器を隠し持っていないかを探していた。
文次郎はなんとなく嫌な気になったが、目を逸らす訳にもいかず、黙ってそれを眺めた。
「あたしに任せて、お兄さんはじっとしてて。」
擦れた声でそう言って食満は男の下衣を解いて、股間に唇を寄せた。
(あいつっ…誰もそこまでしろなんて…)
文次郎は咄嗟に下に降りようとしたが、なんとか思いとどまった。
(…何か考えがあるんだ。)
膝に爪を立てて気持ちを落ち着かせる。
「お前、とんだ好き者だな。良い買い物をした。」
男がにやけながら食満の頭を撫でると、食満は口を離して男を見上げる。
「ねぇお兄さん、私この前隠しておいた大事な物を盗まれてしまったの。お兄さんなら大事な物は何処に隠します?」
食満は手で陰茎を撫でながら、男の胸に頬を擦り付ける様にして問い掛けた。
「んん、大事な物ねぇ。俺なら肌身離さず持ち歩くけどな。」
「へぇ」
唐突な話題に戸惑いながらも、男は律儀に答えた。食満は相槌を打って男を引寄せると、ぱち、と指を鳴らした。
「動くな」
食満は男の首に針の先をつけて冷たく言い放った。同時に、天井裏から降りてきた文次郎が男の手を後ろに捻り上げて縛る。
「文次郎、多分そいつ帳簿持ち歩いてる。」
食満は針を構えたまま、男の胸に乗り上げている。文次郎が男の荷物を探ると帳簿が出て来た。
「大事な文書を持ち歩くなんて愚の骨頂だよ、お兄さん」
食満はにや、と笑って針をつつっと滑らした。
「こいつどうすんの?」
「帳簿さえ手に入れば、そんな小物どうでもいい。一応脚も縛って転がしておく。」
そう言って文次郎が男の脚を縛ると、食満は立ち上がって乱れた着物を直した。
文次郎も荷物を纏めて、宿に入った時の派手な着物に着替え、帳簿を懐にしまう。
「出るぞ」
文次郎が手を引くと、食満は振りほどかずにおとなしく従った。
郊外に出ると、食満は立ち止まった。
「男物に着替えて口濯ぎたい。」
「あ、ああ。」
食満はたっと沢に下りて、口を濯ぐと、諸肌脱いでさらしを巻き出した。
「文次郎、ちょっとさらし引っ張ってくれ。」
文次郎が黙って言われた通りにしてやると、食満はどうも、と言って、荷物の中の忍服と私服の変わり衣になっている物を身につけた。
「あそこまでやる必要があったのか」
「拷問して聞き出すより楽だろうが」
文次郎の言葉に食満は振り向いて言い放った。気まずい沈黙が下りる。食満は一瞬泣きそうな顔をした後、すぐにそれを打ち消して意地悪な表情を作った。
「なんだ。三日間むらむらし続けてた文次郎君には目の毒だったか。」
「てめっ…なんで知って…」
文次郎はそこまで言って自分の失言に気付き、口元を手で覆った。
わからいでか、と言って、食満はけけけっと笑う。文次郎は慌てて言い返す。
「しょうがねぇだろ。いくら忍務で、しかもお前相手だって、女と二人っきりであんなとこに居たんじゃ変な気になんだろうがよ。」
言い訳になってない言い訳に、にやにやと笑い続けている食満を見て、文次郎は溜息をついた。
「ったく、知ってておちょくってやがったのかよ…っていうか俺がほんとに襲い掛かったらどうするんだ。」
「ばぁか。いくら忍務で相手がお前とはいえ、覚悟なく男と二人で宿に入るかっての。」
「はっ?」
あっけにとられた文次郎を置いて、食満は道を駆け出した。
食満の言葉ががんがんと頭の中で響いて、文次郎は暫く呆けていたが慌てて食満を追った。
文次郎が帳簿を差し出すと担任はよくやった、と誉めたが、文次郎は素直にそれを受け取れなかった。
(この課題、殆ど食満がやったようなもんだ)
報酬は諸経費を抜いて全部食満にやった。食満は無邪気に、新しいカンナが買える等と喜んでいたが、文次郎は腑に落ちない。
あの忍務以来、文次郎はさらに鍛練を増やした。食満に負けたくない、と言う気持ちも有ったし、同時にどうしても食満の事へ思考が向いてしまうのを避けたかった。
ぼうっとしていると、食満が沢で漏らした言葉を思い出しては、つい自分は凄く勿体ない事をしたんじゃないかと考えてしまう。
「文次郎さぁ、この前の課題で食満さんと何かあったの?」
伊作が傷を消毒しながら言った言葉に、文次郎は慌てた。
「はあっ?何もねぇよ」
「ちょっと暴れないでよ。…だってさぁ」
伊作は文次郎の手を押さえ付けて、乱暴に薬を塗る。
「課題から帰ってから、留さん文次の事名前で呼ぶじゃん」
「えっ?」
ぶつぶつ言いながら唇を尖らせた伊作に、文次郎は固まった。
「うっそ、気付いて無かったの?うわぁ。」
生暖かい顔を向けてくる伊作の手を振り切って、文次郎は廊下に出た。
(うわ、そういえば…)
顔が熱くなっているのを時間して、文次郎は前髪を掻き回す。
(つか、俺、ほんとに勿体ねぇことしたのかも)
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文次郎、食満を女として意識しちゃった編。
もうこいつら面倒臭いな(笑)勝手にさっさとくっ付いてイチャイチャしてろってば・・・