指や唇は信じるのが好き



 食満はぬめる身体を隠そうともせず、よれた布団の上に身を投げ出している。身体は酷く火照っていた。隙間風が肌を撫でるのが気持ち良い。秋口とはいえ、男二人が布団を被って運動をすれば、暑くもなる。つまりはそういう事だ。
 少し離れたところで寝間着の乱れを直し、髪を梳いていた善法寺が名前を呼べば、食満は低く唸る様な返事を返す。
「ねえ留さん、もうこういう事やめようか。」
善法寺の口から発せられた思いも掛け無い言葉に、食満は身を起こした。部屋には濃く、情事の気配が残っている。食満の身体はぷつぷつと汗が吹き出ていて、うなじに貼り付く遅れ毛を彼は鬱陶しげに掻き上げた。
「理由がない」
「有るさ。僕が疲れたからだよ。いい加減潮時だ。」
善法寺の声は至って平淡だ。薬の調合を暗唱する時の様に、淀みない。食満は善法寺の話に耳を傾けながら、布団の中でくしゃくしゃに丸まった寝間着を引っ張り出して、身に付けた。
「俺が嫌になったか。」
「僕は留三郎の事が好きだよ。だからさ。」
「なら何故。」
善法寺の声色がいつになく真剣であったので、食満は気怠い身体を無理に起こし布団の上に胡坐をかく。灯りがちりちりと揺れ、善法寺の白く滑らかな頬を柔らかく照らした。
「僕は君が好きだけど、君は文次郎が好きじゃないか。」
食満はぎょっとした様に目を見開いた。そして心底嫌そうに顔を歪めた。
「馬鹿を言うな。」
うげ、と胸焼けした手真似をして、食満は善法寺を伺う。善法寺は表情を変えない。
 不意に灯りが揺らめいて部屋の壁に気味の悪い模様を作る。今まで気にならなかった虫の音が急に耳障りに思えて、食満は苛ついた。
「潮江と寝るのを止めればいいのか。」
食満はわざと、潮江、と名字で呼ぶ。善法寺はきゅう、と眉根を寄せた。
「そういう事を言っているんじゃない。」
ふ、と息を衝いて、善法寺は櫛を丁寧に服紗に包み、自分の机に向けて放った。大事にしているのかそうでないのか今一分からないが、善法寺の行動に一貫性が無いのは今更なので食満は黙ってそれを見ている。
 たとえば、と食満が口を開いた。
「たとえば、俺が潮江を好きだとしても、潮江を殺してお前が幸せになるなら刺し違えても俺は潮江を殺すだろうよ。」
「そうだね。君ならそうするだろう。でも駄目だよ。」
善法寺は正座した脚を崩して、自分の足先を見つめた。食満の射ぬくような視線に居心地の悪さを感じたからだ。
「僕の留三郎への感情は恋だけど、留三郎の僕へのそれは恋とは違うじゃない。君のは、思い人に向けるものじゃなくて、母親や、子供に向ける親愛の情だよ。」
食満は黙っている。黙ってじっと善法寺を見た。揺れる火の光が善法寺の顔の産毛に反射して、きらきらと美しい。長くて量の多い睫毛が、涙袋に濃い影を落としていた。
 虫がぎい、ぎい、と不協和音を立てる。先程まで汗ばんでいた食満の身体はいつの間にか乾いている。喉はからからで、口の中が粘ついた。
「不毛だよ。僕達は愛し合っている様に見えて、永遠にすれ違いだ。」
善法寺が、溜息をついた。白っぽい寝間着の肩が動く。肩に落ちた髪が動いた。食満は、善法寺の形の良い唇から漏れる溜息を、見た。
「俺は伊作が好きだ。」
「庇護欲と恋を勘違いしちゃあいけないよ。」
食満の言葉を遮る様に善法寺は言った。吐き出すような声であった。
「伊作っ」
食満は悲痛な声を上げた。善法寺は相変わらず足先を見つめていて、決して食満の方を見ない。食満は歩み寄って、伊作の膝にこうべを垂れた。
「俺はどうすればいい。」
善法寺はやっと食満を見た。見たが、食満は俯いているのでそれを知らない。
「留三郎、」
「俺はお前が居ないと駄目なんだよ。」
食満は床に這いずって、善法寺の白い足の爪先に恭しく口付けた。善法寺は動揺した。
「伊作、伊作。俺を捨てるな。」
食満は善法寺の踵に額を付け、祈るように呟いた。善法寺は息を呑んだ。そしてゆっくりと息を吐いた。この瞬間、善法寺の決心は揺らいだ。揺らいだまま、倒れた。善法寺は、そっと食満の頭を撫でた。
「酷いね、留さんは。そうやって可愛い動作で僕を捕まえて、逃がしてくれないの。残酷だよ。」
そう言いながらも、酷いのは自分だ、と善法寺は思った。油が少なくなって、灯は随分小さくなっていた。
 食満は善法寺の度肝を抜くのがうまい。善法寺が驚いているうちに、食満はあれよあれよと全てを自分の主導にしてしまう。善法寺は食満の意志に反する事を押し通せる自信は初めから無かった。
「酷いのは留さんだけど、ずるいのは僕かも」
善法寺は小さく呟いた。自分が別れると言い出したのを、食満が必死になって止めてくれるのを、心の何処かで、強く望んでいた。
「留三郎、顔を上げてよ。」
顔を上げた食満の頬は濡れていた。善法寺の中に、食満への愛しさが溢れた。
「泣くなよ、伊作。」
「留三郎こそ。」
食満の指が善法寺の目元を優しく擦った。
「伊作。俺を捨てるな。」
「うん。」
食満の唇が、善法寺の唇に触れた。口付けを受けながら、この唇はさっきまで自分の足に触れていたのにな、と善法寺は心の中で苦笑する。ぬるりと食満の舌が善法寺の口腔入り込んで、掻き回す。膝の上に置かれた手を取られ、指を絡め取られた。息が苦しくなる。零れた唾液が善法寺の膝へ落ちた。
 まるで絡まった糸の様だ、と善法寺は思った。食満と善法寺は、歪な形のまま、離れることが出来なくなっている。善法寺には、解くことが不可能だ。食満になら解けるのだろうか、善法寺にはわからない。
「留三郎にも、解けなければいい。」
呟いた善法寺に、食満は首を傾げた。善法寺は苦笑する。そして食満を抱き寄せた。自然と食満が善法寺の膝に乗り上げる形となり、裾が割れて、日に焼けていない太股が覗いた。
「ねぇ留さん、知ってる。明日は一時間目から校外長距離走だよ。もう一回したら、僕達走れ無いかも。」
食満を見上げて、善法寺が言う。食満が笑った。
「じゃあ、同時に、びりで到着しよう。そして二人で補修を受ければいいさ。」
ふふ、と善法寺も笑った。笑って、心の奥の小さな痛みを見ないふりをした。
 想いの終着点は、見えない。






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食満伊っぽいけど、伊食満のつもりで書きました。まあ、食満伊でもいいんですけど。
うちのサイトの食満受の基本っぽい話を書こうと思ったら、食満が最低な感じになりました。
いや、食満は伊作のこと好きなんですよ。世界で一番大切なんですよ。思いの質が違うだけで。

なんで私は普通のラブラブが書けないのか。